事実と真実とコミニュケーション
皆さんお元気ですか。
私は某大手掲示板で、東京でボードゲームをやっているのに名古屋で仕事をしていることになっていたり、徹夜で仕事をしているのにスレを煽っていることになっていたり、デスノートに名前を書きたいと言われてたりしています(笑)
そんな中私が面白いと感じることは“事実”としての私の行動よりも彼らの中にある“真実”が優先されるということです。
彼らの中の“真実”が砂上の楼閣のように積み重なり誤った認識に基づいて作られる新しい“真実”が一人歩きする様というのは人間が実に度し難い生き物であるかという証左でしょうか。
このような“真実”の一人歩きと“自分の意見だけが正しい”という二つが組み合わせは戦争や数多くの悲劇の引き金になっているのは想像に難くありません。
これを断ち切ることができるのがコミニュケーションだと思うのですが、某所のスレの流れを見ているとあまりにもコミニュケーションが取れてないように感じます。もう少し人の意見を理解してから自分の意見を通すように進めないとお互いに煽りあいになるだけで生産的にならないような…。
意見もいろいろ、趣味もいろいろ、やりたいこともいろいろだからこそゲーム(人間社会といってもいいですが)は面白いのですし、いろいろな意見や視点を受け入れることができるとゲームに対する理解も進むのではないでしょうか。
ゲームをやっている人がどのような意見を持っているか知りたいのですが、その意見がどのような環境・条件でどれくらいのレベルの層の人なのかという背景から理解しないとその意見の背後にある問題は理解できません。
ぶっちゃけこれってコミニュケーションをしないと分からないんですよね。
リアルで会ってお話をしてくれている人とは意見交換ができるのでどのような意見をいいたいのか分かりますし現状についてもある程度納得をしてもらうようなお話ができるのですが、リアルで話をする機会があっても話をしてくれない人に対しては何もできません。直接話してくれればある程度対応できると思うのですが、今回のように喧嘩腰でやられても、私も人間なのでかなり引いて見ちゃいます。
意見を通したいならやり方や礼儀などをきちんとしたほうが通りやすいですよ。
やっぱりこれもコミニュケーションの一環なのよね。
ああ人間社会はコミニュケーションだのぉ(しみじみ)
P.S
殺したいと人に意識されるのは、人間としてある種の幸せなのかと疑問に思う今日この頃。